朝日新聞に毎週木曜日、読者からの意見を載せる欄がある。「私の視点」と名づけられたコラムに原稿を送ったのだが、没になってしまった。けっこう気合を入れて書いたのでこのままこの原稿を棄ててしまうのは忍びないのでここにアップして皆さんに読んでもらうことにしました。以下がその原稿です。

「2007年は六ヶ所村再処理工場の本格稼動が予定されている年だ。再処理と言ってもその稼動が私たち日本人、一人一人にとって何を意味するのか知っている人の数は極めて限られている。再処理工場の目的は使用済核燃料からプルトニウムを取り出すことであり、ここの操業は私たちのエネルギーの未来を決定づける重要な意味を持っている。私は昨年3月に映画「六ヶ所村ラプソディー」を完成させ、全国で上映を展開している。すでに100回以上、三日に一度はどこかで上映され、ますます広がる勢いだ。観客の多くは20代であり、ちょうど彼らが生まれた頃この再処理計画が正式に六ヶ所村で受け入れられた。加えてチェルノブイリ世代でもある。この若者たちが映画を観て、「知らなかった」「何か自分にできることをしたい」と知りえたことを様々な形で発信し、映画は口コミで広がった。音楽家坂本龍一さんがネット上で六ヶ所の情報発信を始めたこととも重なった。世界中のアーティストが六ヶ所をテーマに作品をこのサイトで発表し始めた。時代の先端を行く世界中のアーティストたちは環境意識の一点で共感し、自分たち自身のメッセージを発信している。六ヶ所の問題は日本のことだけではない。再処理工場は一日で原発が出す一年分の放射性物質を空と海に放出する。公表されているだけでも出てくる放射性廃棄物の後始末プラス運転費用は10年で19兆円と見積もられている。この汚染とコストの負担を強いられるのがまさに今の20代以降の世代なのだ。映画の中に青森県の路上で中年の男性が再処理の事を聞かれて「年だからいい」と答えるシーンがある。若者たちはこの言葉に一様に強く反応する。私がこの映画を作ろうと思ったのは前作「ヒバクシャー世界の終わりに」でイラクを取材し、そこで劣化ウラン弾による影響と思われる放射能汚染に苦しむ人々に直接出会ったことがきっかけだ。私自身はこの映画を撮るまで劣化ウラン弾が原発を動かす過程で出てくる放射性廃棄物だということも知らなかった。核問題にかつて全く興味がなかった私にとって、イラクで病に苦しむ人々と原発は意識の上でつながったことはなかった。医療をテーマにテレビや映画を作ってきた作家として自分の無知さに衝撃を受けた。だからこそ55基も原発が動く日本の現実をそして、自分自身の足元を見つめなければいけないと思い至った。ところがこれに気がついた時、すでに政府はプルトニウムを次世代を担う核エネルギー燃料とすることを決めていたのだ。私は「六ヶ所村ラプソディー」を私たち全員が直面するエネルギーとくらしそのものをテーマとする映画にしようとした。だから様々な立場の六ヶ所の村人が出てくる。登場人物の一人が「中立は賛成だ」と語る時、観客は自分自身の選択が問われていると感じるという。再処理工場が本格稼動してしまえば、未来の世代が大量のプルトニウムや核廃棄物と背中合わせの生活を強いられることになる。それでもいいのか、と私たちはかつて一度も聞かれたことがない。どっちを選択するにしてもこんな重要な決断を知ることもなく、十分に議論することもなく下していいものだろうか?本当の意味で国民の選択にするにはまず十分な情報を出し、国民的な議論を開くことだ。電気を使う1億2千万人、全ての問題なのだから。プルトニウムを使う予定だった高速増殖炉は目下「開発中」だ時間はある。よりよい選択をする、そのためにもぜひ、この映画を観てほしい。」