8月5日に「広島フォーラム」と名付けられたシンポジウムに参加してきました。主催はマスコミ文化情報労組会議。広島平和研究所の高橋博子さんと九州大学大学院准教授の直野章子さんとごいっしょでした。タイトルは「終わらない原爆被害~というもの。被爆者、つまり原爆直接体験者が高齢化してゆく中でその体験をどう継承してゆくのか、伝えてゆくのはもちろん、実はまだまだ解らない事が多いんですね。隠されていること、それが意図的であったり、体験そのものの語りがたさであったり・・本当にまだまだ続く広がりと深度を持った問題です。核廃絶の現実性ももっと考えていきたいですね。
翌日の原爆記念日に「ヒバクシャー世界の終わりにー」に出てくださった肥田舜太郎先生と太田川の土手にある陸軍病院慰霊碑でお会いしました。
映画にも出てくる場所ですが、7年ぶりで一緒にここを訪ねました。

広島4
そこに来ていらしたのは当時21歳、衛生兵の訓練を受けたという川端さん。
広島1
原爆投下のちょうど1年前に撮った写真を持ってきていました。広島5
ほんとどがお亡くなりになったという事ですが、当時の事を良く覚えています。厳しい訓練に耐えた事、戦友達と飲んだ事。そして原爆投下後の広島の事。こちらはあまり話題になりません。肥田先生の伝記「ヒロシマを生きのびて」をぜひ、お読み下さい。
広島3
広島2


写真に写っていたのは若いまじめな顔をした人たち・・
太田川はこの日、空を写して真っ青でした。


kama